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【桂春蝶の蝶々発止。】「人はみな、剣が峰を歩く、道危うき旅人なのかもしれない」 映画「ジョーカー」を見て考えた (1/2ページ)

 今回は、バットマンの悪役として知られる男の秘密を暴いた映画「ジョーカー」について語らせてください。

 「人間は誰でも、いつ罪を犯すかわからない、始末の悪い生き物だ」

 これは立川談志師匠の言葉です。その通りだと思います。

 世の中、100%の善人も、100%の悪人も存在しません。誰の心にもマザー・テレサと、アドルフ・ヒトラーが共存しているのも、また真実ではないでしょうか。

 「俺は善人だ!」と豪語する方も、交通ルール違反、ハラスメント、いじめ、ネットで悪口…。そこまではいかずとも、他人や己にウソをつき続けたことくらいあるでしょう? 人はみな、ギリギリの剣が峰を歩く、道危うき旅人なのかもしれません。

 さて、「ジョーカー」は、なぜ爆発的人気なのでしょうか。私は、この映画を「自分よりも不幸で悲惨な人間が、誰もが憧れないやり方で自己実現をしてゆく、超カタルシスムービー」と位置付けました。最後にジョーカーとなる、主人公アーサー・フレックは絶対的に不幸で、孤独で、不安定な人生を送っています。観衆は正直、彼に同情するでしょう。

 人間世界で、あらゆる不幸の最果てに追い詰められた彼は、ついに狂人「ジョーカー」と化し、能動的に殺人を犯します。その前に、彼はこう言います。

 「人はいつだって善悪を己の主観で決めている、ならば僕も何が良いか悪いかを『主観』で決めさせてもらう…」と。

 そう、善悪というのは客観視からくる絶対的評価ではなく、「無責任な大衆による、主観のみの相対的評価に過ぎないではないか!」。ジョーカーは見抜いたのです。

 ここからは私の懺悔(ざんげ)と言ってもいいのですが、彼の言葉に「共感」してしまった。上辺でウソだらけの善より、本音で自分に偽りなき悪の言葉の方が届くこともある。結局、彼の行動は、極貧で餓死寸前の人間がパンを盗んでしまったことと同じです。

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