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【織田哲郎 あれからこれから】大学の音楽サークルに入るも…先が見えない不安で鬱状態に (1/2ページ)

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 北島健二たちとやっていた『強力速乾バンド』は北島以外も演奏は相当ハイレベルでしたが、いかんせんメンバーの音楽的な志向がバラバラ。とりあえずレッド・ツェッペリンならみんな納得するということで、主にツェッペリンのコピーをしていました。当然バンドとしてプロでやっていける状態ではありません。

 そんな中、北島と私は音楽の志向は少し違えど明確にプロを目指していたので、高3になると2人で他のメンバーを探したり、セッションをして曲を作ったりしていました。なにしろスタジオ代も馬鹿にならないので、大学のサークルに入れてもらったおかげで、部室でただで練習をさせてもらえたのは本当にラッキーでした。

 夕方以降には大学生のいろいろなバンドの練習もありますが、昼間の時間は大抵空いていたので、いつも北島と2人で授業をさぼってギターとドラムを交代しながら遊んでいました(そんな調子でしたから卒業の時には2人とも単位がギリギリでしたが)。

 結局、私は親に「プロになるにしてもとりあえず大学くらい行け」と言われ、明治学院大学に入りました。はなから卒業する気がないので授業には全然出ず、音楽のサークルにすべて顔を出してめぼしいミュージシャンがいないか見て回りました。そして現代音楽研究会、略して『現音』というサークルに入りましたが、これがまたびっくりな環境だったのです。

 その頃は内心「俺と北島のコンビはすごいぜ~」と思っていたわけですが、このサークルには素晴らしいミュージシャンがたくさんいて、またしてもかなり高慢になっていた鼻をへし折られることになりました。

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