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【ぴいぷる】“永遠の喜劇人”小松政夫 「『舞台で死ねたら本望』なんて言うけど…幕を引いてからコロリ、が最高」 (1/3ページ)

 日本喜劇人協会会長といえば、エノケン(榎本健一)や森繁久弥、三木のり平ら、そうそうたる顔ぶれが務めた大御所ポストだ。8年前、10代目会長を任され、現在4期目。きょう7日、自伝となる『ひょうげもん』(さくら舎)を出版。今月末からは、舞台出演が2本続き、喜寿を迎えてなお、仕事のオファーが引きも切らない。

 「ハタチになったのが、ついこの前だったんですけどねぇ(苦笑)。気付いたら、もうこの年です。よく、『舞台で死ねたら本望』なんて言うけど、ホントに死んじゃったら周りは大迷惑ですよ。(千秋楽の)幕を引いてからコロリ、が最高なんですけど」

 本のタイトルは、故郷の博多弁で、ひょうきん者の意味だ。現在とはまるで違う「昭和の芸能界」の“アツさ”が行間からあふれ出てくる。

 俳優を目指して上京、自動車のセールスマンなどを経て、クレージーキャッツの大スター、植木等の付け人兼運転手になったのが1964年。前回の東京五輪が開催された年だ。高度経済成長のまっただ中、日本人みながモーレツに働き、遊び、上を向いて歩いていた時代。芸能界もモーレツだった。

 「2、3日連続の徹夜は当たり前。現場はみんな『面白いものをつくりたい』という熱気にあふれていました。1つのコントをやるのにもアイデアを練りに練って何日も稽古をして本番は5分とか、ね。でもアタシはそれが楽しくてしようがなかったんですよ」

 そうした積み重ねから、やがて一世を風靡した「電線音頭」や「しらけ鳥」などの芸が生み出されていく。

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