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【ぴいぷる】世界トップダンサー・辻本知彦の“踊り出す感性” 土屋太鳳、米津玄師らの振り付けも担当 (1/2ページ)

 ある人は言う。

 「何をしでかすかわからない。何を言い出すかわからない。話も飛ぶ。でもなぜか説得力がある」

 初めて会ったのは10年以上前のことだった。会う度に髪形も服装も話もガラリと変わる。だが、何かを見据えたかのような視線は変わらず、不敵さを漂わせる。潜在意識を言葉や踊りに換える異色のダンサーだ。

 「コンテンポラリーダンスの良さは、作り手になれること。体は不備があって不完全な方がいい。動かせないところを無理やり動かすのが好きです」

 そんな体の動かし方を、コンテンポラリーダンスカンパニー「Noism(ノイズム)04」で学んだ。

 ノイズムは「ダンスでは食えない」と言われていたころの2004年、新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の舞踊部門芸術監督に就任した舞踏家、金森穣(44)が設立。日本初の劇場専属舞踊団で、辻本はその1期生だ。

 小学校からバスケットボールひと筋だった。高校卒業前にたまたまダンスのクラブに通い、踊ることに目覚めた。

 「マニアックな遊びを見つけたという感じ。ダンスで自分の気持ちを出すことを学びましたね」

 プロへの道はかなり遅かったが、めきめきと頭角を現し、ディズニーランドのダンサーとしてキャリアをスタート、1997年には渡米する。バレエなどのスキルに磨きをかけ、海外での滞在制作に呼ばれるまで成長した。

 その後、シルク・ドゥ・ソレイユの1万人近い規模の舞台でソロを踊る3年間のワールドツアーに参加。この時期を本人は「修行期間」と呼ぶが、並行して、実験的な自主制作公演や舞台演出も手掛けている。

 「小さい時は絵描きになりたいと思っていた。だから、死ぬまでに『自分が見たい絵を描きたい』という気持ちで踊っています」

 独特なたとえだが、限りある時間を意識し、今を死から逆算して考える。この1時間は人生の何分の1と。不敵な瞳の奥に潜むのは、もっと何かできるという思い。禅問答のようにいつも問うている。そしてはっきり言う。

 「大事なのは、センスです」

 大きな転機は2016年。欧米で人気のミュージシャンSia(シーア)のアルバム日本発売に際し、「Alive」という楽曲のミュージックビデオを土屋太鳳のダンスで作ることになり、振り付けの話がきた。

 「Siaのビデオを200回は見ていた。話がきて奇跡と感じた」

 Siaは当時、少女のエキセントリックなダンスによるミュージックビデオで注目されていた。土屋がもつ清楚さとは真逆の激しさや狂気を、ダンス指導と振り付けで見事に引き出した。

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