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【ぴいぷる】声が枯れるまでナイフを握れ! EARTHSHAKER・西田昌史、「18の日々」歌ったあの時から変わらぬ情熱 (1/3ページ)

 マーシーの歌声を聴くと、あのころの情景が鮮やかに蘇る。アースシェイカーのデビューはもう35年も前のことだが、大ヒットした『MORE』や『RADIO MAGIC』のイントロを耳にした途端、すぐに当時のことを思いだす。

 「僕らもファンのみなさんも、80年代のころの青春が今もつながっています。ここまでいろいろ経験してきたけど、歌は形を変えずに受け継がれてきた。あのころ若かった人は今、50を超えているくらい。僕は『MORE』で“18の日々”を歌って、ナイフを握りしめているような当時の情熱を、まだ持っていますか(?)って伝えている。18の日々を思いだして頑張ってほしいから」

 自身の18の日々は福岡の高校生。ザ・モッズやサンハウスなどのロックバンドが人気で地元のライブハウスに通っていたが、高校卒業後、よりハードな音を求めて大阪に向かった。アースシェイカーと知り合い、前任者の二井原実(→ラウドネス)に代わり加入したときはフュージョン真っ盛り。ハードロックは苦難の時代だったが、数年のうちに盛り返した。

 「時代の面白さですよね。最初は相手にしてもらえなかったのに、いつの間にかライブハウスがホールになって、デビュー前に郵便貯金ホールでやっていた。ええ~ってなりますよね。でも、それが自然な流れだった」

 アイドルのレイジーから進化したラウドネスが1981年に誕生しシーンの寵児となったが、目指したのは海外。アースシェイカーは一方、日本にこだわっていた。

 「海外には興味がなかった。もちろん洋楽はたくさん聴いていたけど、僕は日本語ではっきり歌いたかった。日ごろ使っていない言語では、思いは伝えにくいから。それに日本の言葉が好きだから。誰に何を言われてもこの主張を曲げることはなかったですね」

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