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【ぴいぷる】杉山清貴 ブレーキ知らない35年目の夏物語 「年をとった自覚がないんです」 (1/3ページ)

 ■80年代人気絶頂の中…オメガトライブ解散

 デビューから35年、1980年代を彩った名ボーカリストのイメージはまったく変わらない。

 「年をとった自覚がないんです。僕は昔から抑えが利かない自由人。誰かが止めても突き進んでしまう。やりたいようにやってきましたから」

 今、40~60代で、杉山清貴&オメガトライブの曲を聴いたことがない人はいないだろう。『君のハートはマリンブルー』『ふたりの夏物語』。海辺とドライブが似合う、シティポップスの先陣を切った。

 「雑誌のPOPEYEが流行って、サブカルチャー全盛の新しい時代でした。音楽もただ聴くだけのものではなく、サブカルの一部だった。ドライブやデートのときはこの音楽、お酒を飲むときにはこの曲とか。僕たちはそれに乗りました」

 ただ、同じメンバーでもアマチュア時代の「きゅうてぃぱんちょす」とは違い、オメガトライブは“作られて”いた。シングルA面は作詞・康珍化、作曲・林哲司。ヒットチャートを駆け上がって、テレビにいくら出演しても、常に冷静な自分がいた。

 オメガは人に作ってもらったもので、まず楽曲ありき。このまま曲は残っても、僕たちはいつまでも残れないんじゃないかと。そんな風に考えるようになったんです」

 そこで、“誰が止めても突き進む”我が顔を出す。芸能界には染まっていなかったデビューからわずか2年後のことだ。

 「売れまくっていたバンドの解散をメンバーだけで決めた。スタッフに“解散します”と言ったら、『来年のツアーを組んでいるのにどうするんだ!』って言われて。でも“イヤ、やらない”って。結局、翌年の半年間予定のツアーをバラし、年内に3カ月間でやりました。でも若かった。周囲の方々には多大なご迷惑をおかけしました…」

 しかし後悔はない。ソロデビューは解散翌年の86年。自ら作曲した『さよならのオーシャン』のヒットで選択が間違いではなかったことを証明。以来、「たとえみんなに引かれたとしても、僕がやりたいんだからしょうがない」と我が道を進むスタイルは変わらない。

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