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【高嶋ひでたけのラジオ“秘”交友録】鉄人・衣笠祥雄さんの思い出 飛び交う広島弁のすご味

 時は過ぎた感はあるが私も「鉄人・衣笠祥雄」について思い出を書きたい。

 衣笠がプロ入りした翌年、私はニッポン放送でプロ野球中継の実況アナとなった。

 ナイター中継のメーンはあくまでも巨人戦中心で、私の出番は巨人戦のない日のパ・リーグのカードか、「RCC送り」と言われていた中国放送1局に向けた大洋対広島戦であった。

 川崎球場の「RCC送り」を何試合中継したであろうか。当時の広島はしたたか弱小で、シーズンの出足は好調でも「鯉のぼりが泳ぐまで」と言われ、常に息切れ。

 解説の広島OBの金山次郎さんが「中国放送東京支社の配置換えせにゃいかんぞ」「誰かゴリヤクのある神主知らんか」とボヤくのが常だった。

 当時の衣笠選手は荒削りで“元祖ブンブン丸”といったおもむき。マイクを向けてもかなりぶっきらぼうな印象だった。後の鉄人もまだまだ人慣れしない朴訥(ぼくとつ)な青年だった。

 広島出張での体験も思い出深い。原爆ドームが見える小さな旅館に泊まるのが常だったが、近所の公園の砂場で幼児が砂の陣地を囲って「ここはワシの場所じゃけえ」。ガキのくせして迫力があった。

 広島弁が飛び交う広島ベンチはすご味があった。何よりも「キヌ、調子はどうかいのお」と、中央に陣取るベテラン記者たちが恐かった。

 その後、映画「仁義なき戦い」で死ぬほど広島弁の洗礼を受け、全く違和感はなくなったが衣笠選手も広島弁のすご味の中で「鉄人」の第一歩を踏み出したのだ。

 ■高嶋ひでたけ(たかしま・ひでたけ) フリーアナウンサー。1942年生まれ、神奈川県横須賀市生まれ。明治大学卒業後、65年にニッポン放送に入社。『オールナイトニッポン』などに出演。深夜ラジオでは“ヒゲ武”の愛称で親しまれた。80年代からは『お早よう!中年探偵団』『あさラジ!』などで“朝の顔”として活躍してきた。1990年からフリー。

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