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【没後10年 阿久悠】どこか怖かった仕事中の父 清書のときは書斎に絶対入れない雰囲気 (1/2ページ)

★其ノ弐

 人気作詞家だった阿久悠さんだが、中3トリオやピンク・レディー、岩崎宏美、石野真子といったスターを生んだ「スター誕生!」(日本テレビ系)で厳しく批評する姿が目に焼きついている人も多いだろう。実は、ひとり息子で音楽家の深田太郎氏(52)にとってもそうだった。

 「父で最初に覚えているのは、ブラウン管の向こう側にいる姿。『スター誕生!』で派手なスーツを着て、いつも怒っている姿しか見てなかったですね」

 忙しい父の背中を見て育った。「そのころは、横浜市戸塚区の一軒家に住んでいたんですが、父は東京・赤坂に仕事場としてマンションを借りていて、帰ってくるのは3~4カ月に一度。もう完全に母子家庭のような状態でした」

 それだけに、父の記憶は希薄だった。2007年に阿久さんが死去したとき、多くのインタビューを受けたが、「申し訳ないんですが、父との記憶がほとんど思い出せなかったんです」。

 しかし、あることを転機に記憶がよみがえってきたという。

 「8年前、私にも息子ができた。すると、父親の記憶がよみがえってきたんです。父親にしてもらったことしか、僕にはできない。ある意味息子は父と僕の架け橋のような存在なんです」

 11歳のとき、戸塚から伊東市の宇佐美に引っ越した。「ど田舎にぶちこまれた」と振り返るが、そこには阿久さんの父としての思いがあった。

 「父としては仕事のスタイルを変えようとしたのと、僕が小児ぜんそくだったので、空気のいいところに住もうと思ったんでしょうね」

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