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【ABS世代が「シニア」を変える】“バブルの申し子”が語る男も女もキラキラの時代 ABS世代の経験談から振り返る

 今回と次回は、私(鈴木)と同じABS研究会のメンバーで、ロサンゼルス駐在員の「新宿サチコ」こと平入幸子さん(59)から、バブル期の経験談とABS世代の今後に対する提言を語ってもらいます。

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 1980年代後半から90年代初めにかけて日本中がバブル景気に沸騰しました。当時、私(平入)はマツダの「ミスロータリー」ショールームレディを経て、イベントコンパニオンやレースクイーン、ミスコン受賞をきっかけにしたテレビタレント活動などをしていました。東京・麻布に独り住まいし、六本木で毎晩遊ぶという実にバブリーな生活でした。

 バブル崩壊直前には、新宿にあった実家の土地がビル建設予定地の一部として地上げされ、引っ越しを余儀なくされるという経験もしました。まさに、始まりから終わりまで実体験した“バブルの申し子”です。

 私は92年にロサンゼルスに移住。バブルがはじけた後の日本を実感せぬまま、今に至ります。そのため、私の脳内には今も楽しかったバブル時代がくすぶっています。

 バブル景気が始まった頃、「地上げ屋」「土地転がし」という言葉が世間をにぎわせました。私の実家が都内だと言うと、「山手線の内側? 外側?」などと聞かれました。当時、個人事業主だった私は、恐ろしいほどの好景気に浮かれてはいけないと思いつつも、ぜいたくに慣れるのにさほど時間はかかりませんでした。当時学生や主婦だった人も、何らかのバブルの恩恵を享受したと思います。

 大黒柱のお父さんたちは栄養ドリンクを飲み、24時間戦っていました。バブル時代は、交際費、交通費、広告費の通称3Kがふんだんに使えた時代。会社が終われば仕事と称して繁華街に繰り出し、上限ギリギリの接待経費で落とせるよう領収書を「上様」で2枚に分けていました。

 帰宅時は、片道3車線道路の2車線が予約済み無線タクシーの「迎車」の列で埋まり、流しのタクシーは「実車」ばかり。「空車」を拾うのに、万札を手にヒラヒラさせて道路脇に何人も並んでいました。タクシーに乗れたら、1000円以下の小銭のお釣りは受け取らない。タクシーチケットを会社から支給されている人の中には、金額を記入せず、そのまま運転手に渡す猛者もいました。

 そこら中を走っているベンツやBMWは「六本木のカローラ」と言われていました。仕事が終わったイベントコンパニオンを迎えに、晴海の展示会場出入り口に集まる彼氏の車も外車ばかり。コンパニオンの女性の部屋には、海外出張が多い彼氏たちからお土産でもらったエルメスのスカーフやブランドものの化粧品がずらりと並んでいました。

 男も女も、どこもかしこも、キラキラ光っていた時代でした。 (次回に続く)

 ■ABS世代 昭和30(1955)年から43(68)年生まれの、若者時代にバブルを謳歌した世代。

 ■鈴木準 1960年生まれ。一般社団法人日本元気シニア総研・ABS研究会主任研究員。ジェイ・ビーム代表。マーケティングコンサルタント。USCジェロントロジスト。広告代理店を経て37歳で起業。企業のモノやサービスのコンセプト開発、プロモーション戦略に関わっている。

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