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【定年後の居場所】関西で被災、今なら分かる年配者の心 年齢重ね見えてくるものも変化 (1/2ページ)

 6月18日の朝の揺れは、かなり激しかった。わが家では、花瓶が棚から落ちて割れたくらいですんだが、大阪の北部地域を中心に大きな被害が出た。

 当日は大阪市内の企業で研修が予定されていたが、早々に中止の連絡をいただいた。ただ、電車も完全に止まっていたので、行こうにもどうにもできなかった。また、高槻市の小学校でブロック塀が倒れ、4年生の女子児童が亡くなったニュースは何度も報道されたが、聞くたびにいたたまれない気持ちになった。

 今回の地震では、止まった電車の中で長時間過ごすことを余儀なくされたり、出勤途上だったので会社にも行けず、自宅にも帰れず立ち往生した人も多かった。私の学生時代の友人は、電車が止まり家に戻れなくなった娘さんを迎えに行くため、渋滞のなか車を走らせたそうだ。彼は「阪神・淡路大震災の時は40歳でまだ体力があったけど、今、あれと同じことが起きたらどうするだろう。非常時に備えるには体力がいるなぁ」とSNSに書いていた。

 私もまったく同じようなことを考えていて、20年以上前に遭遇した阪神・淡路大震災のことを思い出した。あの時は会社でも、家でも体力に任せて震災対応に取り組んだが、今ではあのような行動はできないだろう。

 当時は、電気は比較的早く回復したが、ガスも水道もなかなか復旧できなかった。家では小学校の校庭に来た給水車の前に並び、親族の安否確認にも追われた。

 また会社では支店の次長職だったので、お客さんへの対応や、被災した職員の状況確認をはじめ、いろいろな課題が次から次へと飛び込んできた。被災したマネジャー数人の住まいの確保も私の仕事だった。空いている1つの社宅に2世帯入ることを本人たちに説得したり、転勤して空き家になっている先輩の自宅を借りるために鍵の受け取りに行くこともあった。

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